久しぶりに読書した。

国語の教科書に必ず出ていた宮沢賢治。子供だった私には「へんなおじさん」というイメージしか持てませんでした。「みんなにでくの坊と呼ばれ、ほめられもせず、苦にもされず、そういうものに私はなりたいだあ? こんなセリフを言う人、どう考えたっておかしいよ。」こんな薄っぺらい感想しか持てませんでした。

いつしか大人になって、息子の教科書に「雨ニモ負ケズ」が載っているのを見つけ、再読。するとなんだかじわっと来るような、うるっとするような感触に襲われたのを覚えています。社会でもまれたり、傷ついたりした分理解度が深まったのでしょうかね・・・

 

今回読んだ「銀河鉄道の父」はそんな宮沢賢治の生涯を父親である政次郎の目線で描写したものです。

 

父と息子の仲なんて大体はうまくいかないもの。宮沢親子も例外ではなかったよう。進学のこと、就職のこと、宗教観、人生観、ありとあらゆることでぶつかり合います。

 

僕も若いころよく親父とぶつかったなあ、高校受験に失敗したときはプチ家出もしたよな。 将来結婚して子供ができたら、絶対おやじの様にはならないぞ。きっと子供の側に立ってよき理解者になるんだ。なんて固く心に誓ったのに、結局は息子にとって「うざい親父」になってしまいました。

 

文学だけでなく、鉱物学や農業、宗教、音楽、いろんなジャンルに才能を発揮していた賢治さん。 学校教師をしていた時のエピソードとして、白地図を使った授業をし、生徒たちに五感で知識を得させ、体にしみこませることに専念していたと言われています。このことは全く知りませんでした。なんだか塾講師の私に賢治さんがアドバイスしてくれた気さえします。 さっそく明日からの授業に取り入れてみよう、などと考えながら最後のページを読み終えました。

 

 

 

 

 

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